ふと、中高生時代の話になり、学校で「合唱コンクール」なるものがあったなあと思い出した。
私は中高一貫校に通っていて、新年度のクラス替えの後のこの時期に、合唱コンクールが熱く開催されていた。
今でこそ歌手をやっているので、音楽にはそこそこ、まあ作曲家の名前とかも普通の人より知ってますが、その時は音楽なんて興味がなかったし、もちろん日本の作曲家なんて滝廉太郎くらいしか知らなかった。
みんなで何かするのとか大嫌いだったし、学校まで家から片道1時間半くらいかけて通っていて、朝練なんてほとんど絶対行きたくなかったし、無理やりやらせられる風潮に嫌悪感しかなかった。
親が音楽家の子が自信満満で一生懸命みんなをまとめ、指揮をしていて、サボってばかりでやる気0の私みたいのかいても、最後はなんとかまとまって、優勝した覚えがある。
その時の自由曲のに選んだのは「むぎや」という曲だった。
むぎや って何・・・?
その謎は解けないまま、誰も解こうとしないまま終わっていった。
音楽家となった今のわたし、むぎや、の謎に興味がわいて、ちょっと調べてみた。
あぁ、岩河三郎先生の曲だったんだ~
ちなみに、あのころよく歌われていた、なんだか怖いとしか思わなかったあの曲は、、武満徹先生かぁぁ
あーあ、私って何も知らなく、何も分からないままだったな。と、思った。
そして、問題の「むぎや」ですが、
これは富山の五箇山地方に伝わる民謡の出だしなんだ。富山出身の岩河三郎が作曲した「富山に伝わる三つの民謡」の中の一曲。
そして、この むぎや という曲に登場する“もんやじいさん”という人。このおじいさんも一体なんなんだろうと、子供の私は思っていた。花咲じいさんみたいなもんかなというイメージだったんだけど、、、
この“もんやじいさん”は、平家の落人なんだ~
へぇぇぇ。。。そうだったんだ。
源氏と闘い、生き延びて、この富山の五箇山に逃げてきて、そして春が山々にやってくるわけでしょ、、大変な思いもして、わーっと春がやってくるわけですよね。
そして、ジャーントコイとかの掛け声が、花が咲き誇るように、木々がいっせいに芽吹くように、重なり合うわけなのですね
と、この歌詞を見て私なりに解釈してみました。
でも、中学生だか高校生だか歌ったのはいつか忘れたけど、こういう事を、歌の内容、詩の事、背景、ちゃんとわかって歌わないといけないと思うのよね。
わたし、歌手として、先生として、教える立場になって、色々日々考えるけど、何より大切なことだと思うの。だから、曲になってるわけでしょ。内容なくして歌ったって、真剣に思うからこそダメなんだよね。
どうして先生たちは、あの時、少女だった私たちに、誰一人として、そういうアプローチをさせなかったんだろう。まぁ、忘れてるだけで教えてくれてたのかもしれないけど、私はこの年まで、
「むぎや」が何なのか、も「もんやじいさん」が誰なのか、も
知らなかったし。知らないまま歌って喜んでるって、レベル低いなって思っちゃう。
合唱を楽しむって本当に素晴らしいと思うし素敵だけど、もう一歩踏み込んで、ちゃんと考えると、もっともっともっと、音楽や文化って大切で、面白くて、多重構造的に深められる良いものだと気づくとおもうんだけどね。
わたしは教えるときに、まず詩を重視して理解していくことに重きを置いています。ぜひ、そういう指導者が、生徒たちの為にも増えます様に。
今日は、私がふと思い出した合唱曲「むぎや」についてと、歌う時のためのアプローチについて語ってみました!