こんにちは、ミミです。最近考えた事をつぶやきます^^
私たちクラシック音楽の演奏家は、多くの場合、もう亡くなっている作曲家の作品に関わっていると思います。
私は最近、現代に作曲された作品の勉強をしているのですが、その事を通して、自分の認識や感覚、音楽への捉え方が自分の中で変化したと感じています。
それまで“作曲家”って、なんだか物語の中の人物、架空の存在として無意識に認識していたのかもしれないと感じました。例えばディズニーキャラクターと同じカテゴリーと同じところに入れていた様なもですね。笑
今、生きていらっしゃる作曲家の作品に取り組んで、私の中で色々な認識や感覚がとても変わってきました。
モーツァルトも、ベートーベンも、ロッシーニも、プッチーニも、、みーんなみんな、生身の人間としてかつて存在していて、
その呼吸している人間が、一曲一曲を大切に作り出していたのだと思い至りました。
時に強い感情や思いを持ち、苦悩し、喜び、悲しみ、生きていたのだと感じるような気持になりました。
当たり前な話をしているだけかもしれませんが、頭で“知っている”ではなく、この事を実感として持つようになって、私は一曲一曲への思いが変わってきました。時に“タスク”とされたりもする一曲が、今までより重み、厚みを増し、濃厚に感じる気がします。
【つぶやき】作曲家について(私の取り組み)
作曲家が懸命に生きる一人の人間であったということを受け止めたいので、作曲家の伝記などを積極的に読み、自分が演奏する作品がどんな状況で書かれたのかを、今まで以上に興味をもち、理解したいと思いようになりました。
でもまぁ、本に書かれている事は、その著者の認識や思いが入ってきて、それによって歪んで捉えられているのではないか?と思えることもあるので、気をつけなくては・・・と思う事があります。
何人かの作曲家の歴史を読んだだけでも、色々な思惑によって、初演時に悪評を雑誌や新聞に書かれるという事は山ほどありました。
音楽は、聞いた人の感覚によるもですから、評価というのは一体、あってないようなものだと思います。あまり一方的な批判や、マイナスな評価は真に受けなくていいかなと考えています。
だって、どうあれ、どんな作曲家も、情熱を持って、命を懸けて作品を紡いで残した事に変わらないし、情熱や心がなければ、そんなものは作れるわけがなかったと思うからです。
ということで、好きな作品が見つかったら、作曲者がどんな思いで作ったのかしら?なんて思いを馳せてみて、改めて聞いてみたりするのも、クラシック音楽の楽しみ方のひとつかもしれません。
それでは、また!